そして今の僕には「おはよう」とか「こんにちは」を言う相手さえいないのだ。あの突撃隊でさえ僕には懐かしかった。僕はそんなやるせない孤独の中で四月を送った。何度か緑に話かけてみたが、返ってくる返事はいつも同じだった。今話したなくないのと彼女は言ったし、その口調から彼女が本気でそう言っていることがわかった。彼女は
潔膚乳だいたいいつも例の眼鏡の女の子といたし、そうでないときは背の高くて髪の短い男と一緒にいた。やけに脚の長い男で、いつも白いバスケットボールシューズをはいていた。
四月が終わり、五月がやってきたが、五月は四月よりもっとひどかった。五月になると僕は春の深まりの中で、自分の心が震え、揺れはじめるのを感じないわけにはいなかった。そんな震えはたいてい夕暮れの時刻にやってきた。木蓮の香りがほんのりと漂ってくるような淡い闇の中で僕の心はわけもなく膨み、震え、揺れ、痛みに刺し貫かれた。そんなとき僕はじっと目を閉じて歯をくいしばった。そしてそれいってしまうのを待った。ゆっくりと長い時間をかけてそれは通り過ぎ、あとにも鈍い痛みを残していた。
そんなとき僕は直子に手紙を書いた。直子への手紙の中で僕は素敵なことや気持の良いことや美しいもののことしか書かなかった。草の香り、心地の良い春の風、月の光、観た映画、好きな唄、感銘を受けた本、そんなもの
nu skin 香港について書いた。そんな手紙を読みかえしてみると、僕自身が慰められた。そして自分はなんという素晴らしい世界の中に生きているのだろうと思った。僕はそんな手紙を何通も書いた。直子からもレイコさんからも手紙は来なかった。
アルバイト先のレストランで僕は伊東という同じ年のアルバイト学生と知り合ってときどき話をするようになった。美大の油絵科にかよっているおとなしい無口な男で話をするようになるまでにずいぶん時間がかかったが、そのうちに僕らは仕事が終わると近所の店でビールを一杯飲んでいろんな話をするようになった。彼も本を読んだり音楽を聴いたりするのが好きで、僕らはだいたいそんな話をした。伊東はほっそりとしたハンサムな男で、その当時の美大の学生にしては髪も短かく、清潔な格好をしていた。あまり多くを語らなかったけれど、きちんとした好みと考え方を持っていた。フランスの小説が好きでジョルジェバタイユとポリスヴィアンを好んで読み、音楽ではモーツァルトとモーリスラヴェルをよく聴いた。そして僕と同じようにそういう話のできる友だちを求めていた。