ここしばらくは闘う姿勢もなく平和的な春闘が続いていた。
ところが、今年は例年にない対決姿勢が見えている。
ちょっと不景気風が吹いているせいもある。
そのような生臭い世界からは、超然としたオーストラリアの先住民族アボリジニのアートが
今、人気を呼んでいるという。
彼らの独特の色使いや模様には、奔放さと
去黑色素独特の幾何学が表現されている。
彼らのアートには、師匠がいる訳でもなく、
一種の霊感によって自由に描き出されたと言っていい。
通常、絵画アートと言えば、
周りの視覚に映るものを具象化するものだが、彼らは決して写実には進まない。
そんな独創的なアボリジニ・アートの背後には、彼ら独特の世界観が秘められているようだ。
彼らの世界観は、現代を生きる我々とは、かなりの面でかけ離れている。
その大きな違いの一つは、彼らには『時間』の概念がないこと。
また、(これはちょっと厄介だが、)実在と夢の世界の区別がない。
その夢という概念も、自身が夢を見るのではなく、
夢を見ている主体は、人ではなく大地や大自然が夢を見ていると説く。
場合によっては、大自然ではなく、
先祖の意識の中で創造された宇宙エネルギー
坐骨神經痛の固まりであるとも説く。
そう考えたりすると、実在と夢を区別するには意味がない。
自分が絵を描いているのではなく、
夢の中の登場人物である自身が筆を動かして、それを見守っているに過ぎないということになる。
主体は、あくまでも大地や自然が見ている夢。
そんな、アボリジニの世界観で現代人を見ると、
大自然から、自分の位置を見失い、彷徨(さまよ)ってしまった存在と映るようだ。
日本の経済の強さは、中産階級の意識と労働生産性だと言われ、春闘したりしながら、
世界に冠たる経済大国になった。
だけども、アボリジニが説くように、
我々現代人は、大自然から自分の位置を見失なった故に、
時間の小さなコンパートメントに押し込められ、あくせく働くこと
染髮になった存在なのかもしれない。