そそっかしいとか、おっちょこちょいと呼ばれる人物たちのこと。
こういった人物がいて初めて、
落語の世界は、笑いが展開して行く
人民幣匯率走勢。
粗忽者たちが起こす騒動こそが、落語の笑いの根本でもある。
先ごろノーベル賞を受賞した山中伸弥氏も
自身の粗忽ぶりをジョークに置き換えて話をするという。
言ってみれば、落語の世界の住人かもしれない。
そんな落語世界の人間に「輪」をかける小道具が、
お酒。
普段でも礼儀知らずの登場人物が、
お酒という小道具を使うことで、
更にエスカレートして失敗を重ねて行く。
これも落語世界の面白さでもあるが、
現実世界で、そんなことが展開されるのでは
堪(たま)ったモノではないという話も多い
金秀。
お酒のおいしい季節になってきた、
江戸中期の文人で
画家としてもその名を轟かせた柳沢淇園(やなぎさわ きえん)は、
かなりの変わり者だが、いわゆる酒吞み。
彼の書のなかに「飲酒十徳」というのがある。
酒の効用を謳(うた)ったものだが、それによると、
「礼をただし、
労を いとい (=疲れを取り)、
憂いを忘れ、
鬱を開き(=鬱から解放され)、
気をめぐらし(=気力を与え)、
病を避け、毒を解し、
人と親しみ、縁を結び、
人寿を延ぶ(=寿命を延ばす)」
こんな効用があるぞ、というものだが、
歯の浮くような言葉の羅列(られつ)。
ホドホドで済ますことができれば、
そのような効用があるかもしれないが、
なかなかそれで止まらないのが、酒の性(さが)。
こんな秋の夜は、粗忽者ではなく
「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに呑むべかりけり」牧水
と、いきたい。